ぎゅ
・ロビン乗船前 


 1

「食事だ、起きろ」
 そう声を掛けられて目を開けると、コックが俺を睥睨していた。
 何でそう威圧的なんだ、と思わないではないが、腹が減っている今、こいつと喧嘩するのは上策ではない。
 ああ、と口中で呟いて立ち上がった途端、コックはその長い脚を一歩踏み出し、先程まで俺が背を凭れさせていた壁と自らの体で、俺の体を挟み込んだ。
 胸が圧迫される。
 煙草の匂いが鼻先を掠める。
 耳に、コックの溜息が掛かった。

 何だこれは。

「…何やってんだろうな、俺」
 何言ってやがる。それはこっちの科白だ。
「おい、ちょっと俺の事、ぎゅ、ってしてみろよ」

 ぎゅ?

 戸惑っていると、コックが俺の手を取り、自らの胴に巻き付けた。
「ぎゅ、って」

 その声が、余りに頼りなくて。
 ぎゅ。
 俺は腕に力を入れた。
 ぎゅ。
「こうか?」
「そう。」
 そう言ったきりコックは、俺の肩に顎を乗せ、首の力を抜いた。


 きっとラウンジでは既に、待てない船長が食事し始め、そうなると自分の取り分を奪われない為に野郎共も必死で食べているだろう。食事に関して船長を止める事が出来る唯一の男がここでへばっているのだから尚更。
 俺は、夕食を諦める事になりそうだ。腹減ってんのに。

「おい、大丈夫か?」
 弱みを見せるなんて、それも俺に対してなんて、絶対にしそうにない男が、俺に体を預けている。尋常じゃない。
「駄目、なんだろうな」
「どう駄目だ?」
「お前の腕ん中が、心地良いとか。…重症だ」

 まるっきり、全く以て理解出来ない。
「分かるように言え」
 そう言ったのに。
「なぁ、ゾロ?」
 コックは俺の要求には応じず、とてもこの男の科白とは思えない事を言った。
「たまには、こうしても、良いか?」

 たまには、———時々は、
 こうしても、———ぎゅ、としても、
 良いか?———構わないか?

 俺は考えた。考えたけれど、断る理由は見つからなかった。しかし素直に要求をのんでやる謂れも無い。
 俺は考えた。どんな条件を出せば、対等だろうか。

「俺もして良いならな」

 尖った顎の先が肩にめり込んだので、コックが笑ったと知れた。
「OK、交渉成立だ」
 コックはそう言ったきり、俺に体を預けたままで居るので、俺も、ぎゅ、としたままで居てやった。


 今夜の夕食は、既に船長の腹の中だろう。けれど、そうなったのはコックの所為だ。きっとコックが、美味い夜食を用意してくれるだろう。
 そうしたら、また、ぎゅ、としてやって、酒でもねだってみようか。

 それも、悪くない。
20120928


 2

 ゾロが俺を抱き締めた。
 ぎゅ、と大層力強い抱擁だ。
「…どうしたよ?」
 動揺が、声に出たと思う。
 顔の真横にあって、俺の背後を向いているゾロの顔が、すり、と動いた。
「交渉、成立したんだろ?」

 本気だったのか。

  確かに、どうにもこうにも人肌が恋しくて、ゾロに抱き締めさせた時、そんな話をした。思った以上に心地良くて、一度きりにするのは惜しいと思った。「たまにはこうしても良いか?」と言ったら「俺もして良いならな」と返されたんだった。一方的にされんのは嫌なんだなぁ、負けず嫌いだなぁ、と微笑ましく思ったもんだが。そう言えば二度としないだろうと、体良く断られたのかも知れない、とも思ったんだが。

 本気だったんだな。
 そうだ。ゾロが口にする言葉は、いつでも本気だ。
 失念していた。そういう奴だった。

 こいつでも、人肌恋しくなる事があるのか。そりゃそうか。船長はじめ年下ばかりのクルーの中で、こいつが甘えられるとしたら同い年の俺しか居ない。俺にしたって同じ事だ。年長者ったって、まだまだガキだし。互いに甘やかし合えるんなら、それも良いかも知れないな。

 俺はゾロの背中に腕を回して、撫でてやった。一瞬びくりとしたのが分かって、微笑ましい。存外可愛いじゃねぇか。

 すり。
 ゾロの、乾いて温かい頬が、俺の冷たい頬を掠めた。
 くすぐってぇな。
 短い髪が耳の裏を刺す。
 すり。
 くすぐってぇよ。

 大型獣に懐かれた気分だ。
 まあ、そんなのも悪くない。
20121001


 ちゅ
・『ぎゅ』続編 


 1

 何度か抱擁を繰り返すうち、頬が頻繁に触れ合って擦れる様になった。
 ひんやりとした、滑らかな頬が心地良くて、すりすりと、擦り寄る。甘やかな芳香が耳の後ろ辺りから漂ってきて、鼻先を擦り付けて嗅いでみると、首筋に、ちゅ、と吸い付く形になった。
 コックがびくり、と震える。
「お前、何してんの」
「悪い、つい」
「つい、で男の首にキスすんなよ」
「キスとか言うな」
「じゃあ、何だよ」
「あー、…ちゅ?」

 冷たかった筈のコックの頬が熱を持ち、瞬く間に赤くなった。血圧は大丈夫だろうか。
「なお悪ィわ! 何だそのカワイイ語感!」
 コックが慌てるのは、愉快だ。

「させろよ、ちゅ。悪かないだろ?」
 殊更大きな音を立てて再び吸い付く。ちゅ、と。
「お前もしていいぜ?」

 コックに一泡吹かせてやるのは、愉快だ。
20121002


 2

 随分頬を擦り寄せてくるなと思っていたら、首筋にキスしやがった。
「ちゅ」などと表現した上に、「お前もしていい」などと抜かしやがる。
 こいつは、分かってんだろうか。
 男が二人、抱き合って、頬擦り寄せて、首筋に唇を付ける行為の意味を。
 ———ぜってー分かってねぇ。

 確かに、ぎゅ、ってしろと言ったのは、俺だ。
 ゾロの腕の中があったかくて心地良いと感じたのも、俺だ。ゾロからの抱擁を受け止めたのも、俺だ。けれど。

 ちょっと、セクシャル過ぎやしないか?

 俺が今、真っ赤になっているのは分かっている。
 それをゾロが面白がっているのも分かる。
 むかつく。
 俺ばっかり動揺させられるなんて、我慢ならない。
 俺は、思いっきりセクシャルなキスを、ゾロの首に贈ってやった。

 ———唇を押し付けてから、僅かに口を開き、舌をちろりと這わせる———

 ゾロの体が硬くなった。
 思い切り動揺してやがる。ざまあみろ。
 一矢報いて、俺は今、非常に気分が良い。
20121003


 3

 しても良いとは言ったけれど。先にしたのは俺だけれど。

 これは、ちょっと違うんじゃないだろうか。
 ぎゅ、とか、ちゅ、とか、子供みたいな擬音が似合う行為じゃなくて、もっと大人な、———セックスの前段階じゃなかろうか、これは。

 ぞわぞわと血液が集まる感覚がして、堪らない気分になった。
 コックがした様な「ちゅ」を、コックの首に、した。

 俺の動揺を喜んでいたコックが、血の気を引かせた。赤くなったり青くなったり、忙しい奴だ。
「お、おい?」
「お前の、した事だ」
「仕返しか?」
「そうだ。悔しかったら、———仕返せよ」

 伸るか反るか、——挑発。


 至近距離で見詰め合う。互いの目が眇められ、どちらからともなく———どちらもが、間合いを詰めて、唇と唇が、触れた。
 ぶつかった衝撃で離れかけた唇はしかし、離れるに至らず、一層押し付ける。互いにそうしている。
 どちらも引かない。そして、舌が、触れた。
 ねとり、とした感触が、思考の全てを奪った。

 夢中で舌を絡ませ合ったのだと気付いたのは、互いの顎を濡らす唾液が冷えたからだ。
 我に返ったのは、同時。唇を離したのも、同時。
20121004


 4

「何だよ、これ」
「何だろうな」
「俺は、こんな事したかった訳じゃねぇぞ」
「俺もだ」

 でも、ぎゅ、とする互いの腕は、どちらも解かない。
 俺はまだこの腕を、心地良いと感じている。
 野郎と、舌を絡ませて唾液塗れになっても、不快に感じていない。
 何だよ、これ。どういう事だ。

「でも」
 ゾロが腕の力を強めて言った。
「悪くねぇよな?」
 からかって、人の動揺を喜んでいた人の悪いゾロと同一人物とも思えない、真摯な声色だったから、俺も素直に答える事が出来た。
「悪かねぇな」

 ゾロが「悪くない」と口に出して言うのなら、ゾロは本気で「悪くない」と思っている。「悪くない」と思ったのは、俺だけじゃない。
 だとしたら。

 ぎゅ、と、ちゅ、と、その先と。
 きっと、悪くない。
20121005


 あとがき*20121106
『1』は半年近くあっためていた話でした(と言うか、放置していた)。ゾロサン書き始めて割と早い段階で書いたものなので、「私はこういうのが好きだ」というのが如実に出ています。

 サンジがぎゅってしろと言って抱き合うだけだったのを、アップ出来る様に広げていったら、続編もぞろぞろ出てきました。それを視点ごとに小分けしてアップしたのが、『2』と『ちゅ』です。
 一気にアップしなかったのは「密かな目標・毎日更新」を途切れさせない為の怯懦な卑怯であり、「視点切り替えますよ」のサインであり。(こんなとこで言い訳してる時点で、卑怯の方が優勢ですね。)
 短いのを躊躇無くアップして、数が増えたらまとめてサイトにあげよう、と思ってのブログサイト形式選択だったので、当初の予定通りではあります。
各回のあとがき:
『ぎゅ 1』
 なんだかゾロが幼い。情緒の発達がいまいちな子。
(情緒過多なサンジに触れるうちに発達していったら良いよ)

『ぎゅ 2』
 時期は関係無い話ですけど、二人を最年長とした都合上、ロビンちゃん乗船前です。
(ロビンちゃんに甘えるだなんて、サンジ君が許す訳ないけど、それについての記述は邪魔な気がして。)

『ちゅ』
 『ぎゅ』『ちゅ』、これにて終了です。『その先』については、まあ、その、皆様の豊かな想像力にお任せしたい(書ける気がしない)。
 ちゃんと自覚しないうちに、有耶無耶のまま頭を置き去りにして、心と体の要求に従って突き進んじゃう二人は、結構好きです。「あれ?」「あれ?」とか思いながら。

 この二人、全編抱き合ったままなんだぜ。

「その先についてはご想像にお任せ」などと言っておきながら、続けた『その先』はこちらです。