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ソファ

 例の如く学園側には内緒で導入したソファであるが、有閑俱楽部の面々はそれを非常に愛した。
 二人掛けのコンパクトなソファが空席なのは、彼らが授業に出ている時間と、彼らが学園に居ない時間に限られた。つまり、生徒会室に人さえ居れば、常に誰かが座っていた。

 本日は。
 早めに授業が終わった野梨子が一番乗り。

 白鹿邸にソファは無い。だから、野梨子にとってソファは寛ぐ為の物ではなく、接客される為の物であり、若干の緊張を感じさせる物だ。
 それに、先客が有る時には、定員に余裕があっても遠慮したい。気後れもするし、同座者が動く度に体が跳ねるのはどうも苦手だ。
 また、仮に仲間内だとしてもだらしない姿を晒すのを良しとしない野梨子にとって、寛ごうと思えばどうしても姿勢がだらしなくなるソファは、やはり緊張を強いられる。だから、野梨子が自分からこのソファに座るのは、生徒会室に一人きりの時だけだ。そして、今はその時。野梨子とて、ソファで寛ぐ心地良さを知らないわけではないのだ。

 野梨子はソファの左端に体を沈め、息を吐いて目蓋を下ろした。ほんの少し、寝不足な自分を感じていた。
 真剣に昼寝をするつもりは無い、しかしちょっと目を瞑るだけでも違うのは、経験から分かっている。ほんの少しだけ。誰かがここにやって来るまで。そう思っていたのに、睡眠不足は自分で思う以上に深刻で、野梨子は五秒で眠りに落ちた。

 次にやって来たのは、魅録。

 この時点では魅録だけが知っている事だが、本日、清四郎と悠理は職員室に呼び出されており、可憐と美童はダンス部に呼び出されている。
 つまり、今から暫くの間、魅録は生徒会室で野梨子と二人きりになる。そして、これはまだ魅録も知らない事だが、それは魅録の心を浮き立たせている。

 そんな魅録が目にしたのは、ソファで眠る野梨子。

 野梨子の右隣は空いている。一瞬足が止まったのは、野梨子の寝顔に見蕩れたからだ。長い睫毛に縁取られる大きくて黒い瞳は、今は目蓋に覆われている。引き結ばれている事の多い小さく紅い唇は、今は弛緩して、ほんの小さな空間を生じさせている。

 寝顔も綺麗。

 そう思って、何考えてるんだと頭を振った魅録は、意識するのもおかしいと、いつもの様にソファに座った。

 実際、魅録は椅子よりソファを好む。ソファに誰も居なければ必ず座るし、一人分埋まっていても気後れなどせずに座る。ここの所魅録が椅子に座るのは、既にソファが定員以上で埋まっている時だけだった。

 魅録はソファの右端に座り、違和感に気付いた。いつもより、座面が広い。
 ああ、隣が野梨子だからか。そういえば、野梨子と座った事は無かった。ソファの空間を広く感じる程、野梨子は小さい、と魅録は実感した。そして只でさえ小さい野梨子は、ソファのぎりぎり左端に体を沈めている。
 左端。大抵の場合魅録は、背凭れと肘掛けの成す角に背の左側を預けるように座る。いつもは左にある肘掛けが、右にあるのも違和感の原因か。

 野梨子が船を漕いだ。
 野梨子の普段の所行から、野梨子がソファから転げ落ちる事を懸念した魅録は、咄嗟に、野梨子の肩に手をかけて自らの方へ引き寄せた。すると、野梨子の右頬はあっけなく、魅録の左腿に落ち着いた。

 膝枕。自らの左手が置かれた野梨子の左肩。自らの左腿に感じる重み。自らの脚の間に滑り落ちる黒髪。
 それら全てが、魅録を焦らせた。焦る事に焦った。

 駄目だ。落ち着こう。野梨子は寝ている。これは偶然だ。この姿勢を見咎める人物はまだ来ない。そうだ、焦る事は無い。このまま寝かせておいてやれば良い。

 しかし、規則正しい小さな寝息は、魅録を落ち着かない気分にさせた。
 ズボンを通して野梨子の呼気が腿に温かみを感じさせる。更には、夢でも見ているのか野梨子は、魅録の腿に頬を擦り付け、手で摩る。
 意識しまいと意識して、それが叶う事は無かった。

 膝枕をさせてやった事が無いわけじゃない。男山とか、悠理とか、酔ったり殴られたりで介抱が必要なダチとか。しかし、こんな気分になった事は無い。

 やっぱり、野梨子だから、だよな。

 魅録は野梨子の象徴の様な、今は乱れている黒髪を、梳いた。さらさらと流れ、いつもは覆い隠されている耳と、首筋が目に入る。そこに手を伸ばしそうになって、それを堪えるのに、魅録は幾許かの努力を要した。

 俺は男として、野梨子を女として、意識している。

 はっきりと、自覚してしまった。
 仲間でだけじゃ、足りない。

 魅録はその不足分を埋める様に、野梨子の髪を梳き続けた。
 黒髪が動く度に、ほんわかとした温かな気持ちと、ひりひりと焼け付く様な気持ちに襲われた。
 目を背けたい感情だった。

 野梨子に女として、俺を男として、意識して欲しい。

 それが何を意味するのか。
『異性としての男性など必要ない』と公言する野梨子の傍に居られるのは、異性である事を意識させないからではないのか。
 更には、意識された上で、拒絶ではなく受容される事を望むのだ。

 考えれば考える程、無理難題な気がした。
 今は、野梨子を膝枕出来る幸せだけを享受していよう。

 魅録は溜息を吐き、思考を放棄して、目蓋を下ろした。


 三十分の後、遅れて来た四人が魅録と野梨子の膝枕を発見し、二人の目蓋が開く。
 それはまた、別の話。





あとがき

 生徒会室にソファ、無い筈だけど、有ると話が広がりますよね。

 恋心に気付いてしまう瞬間が、大好物です。




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