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内緒の理由

 地図を見ながら角を曲がったら、和装の女の子と鉢合わせた。
「あ」「あら」
 二人で同時に、互いの名を呼んだ。
「野梨子」「魅録」

「普段から着物着てるの?」
「日舞のお稽古の帰りですのよ」
「ああ、それで」
「尤も、普段着も半分は着物ですけれど」
「ああ、家は茶道の家元だっけ」
「ええ」
 知り合って間もないこの子は、俺の生活圏にはおよそ居ない女で、俺はちょっとどぎまぎする。

「魅録は、どちらへ?」
「清四郎のとこに、ちょっとな。隣なんだっけ?」
「ええ。地図はもう、必要ありませんわね」
 ちょっと喋っては、沈黙が訪れる。どうやらこの子、おしゃべりには慣れていないみたいだ。

 あっという間に、目的地に着いた。
「じゃあ、また」
「ええ、また」
 俺に会釈して、立派な門を潜って行く。
 門が閉まるのを見届けて、一呼吸置き、俺は清四郎の家を訪ねた。


 そろそろ魅録がやって来る。
 窓の外を見ると、野梨子と男が歩いている。あの髪の色は、魅録じゃないか。
 魅録は、会釈をして門を潜った野梨子を見送り、一拍置いてから、家のチャイムを鳴らした。
「迷いませんでしたか?」
 魅録は「ああ」と言って、地図をひらひら振って見せた。
「隣は、野梨子の家なんですよ」
 わざと言ってみる。
「立派なお屋敷だな」
 おや。野梨子と会った事は言わないつもりですか。
 僕は変な顔をしたらしい。
「ん? どうかしたか?」
 魅録が変な顔をした。
「別に」
 そういうつもりなら、構いませんけどね。

 翌朝。いつもの様に野梨子と連れ立って登校する。
 野梨子は今朝、どことなく機嫌が良い。
「何か良い事でもありましたか?」
「良い事? …いつもと変わりませんわよ?」
「そう言えば、昨日魅録が家に来たんですよ」
「いつの間に、そんな仲良しになったんですの?」
 おや。昨日、魅録と会った事は言わないつもりですか。
 僕は変な顔をしたらしい。
「どうしましたの?」
 野梨子が気遣わしげに僕の顔を覗く。
「別に」
 二人がそういうつもりなら、構いませんけどね。


「と、いうことがあったな、と、昨日唐突に思い出したんですよ」
 四年後。僕は相変わらず、野梨子と一緒に登校している。
 野梨子は暫く記憶を辿り「ああ、そんな事もありましたわね」と言った。
「どうして内緒にしていたんです?」
「どうしてと言われましても…。言う程の事でもないと思ったのではないかしら」
 野梨子は澄まして前を見ている。

「と、いうことがあったな、と、昨日唐突に思い出したんですよ」
 別の学校に通っていた魅録は、四年後の今、同じ生徒会で共に役員をしている。
 魅録はきまり悪そうに「…見てたのかよ」と言った。
「どうして内緒にしていたんです?」
「そんなの忘れたよ。知ってたんならそん時言えば良いじゃねえか。ガキの頃から、嫌な奴だな」
 魅録はほんのり頬を染めて、悪態をついた。


「今朝、清四郎が」
 野梨子が可笑しそうに言う。
「懐かしい話をしたんですのよ。中等部の時、家の近くでばったり会った事がありましたでしょう?」
「俺は、さっきされた。その話」
 野梨子は目を剥いてから、吹き出した。
「どうして会った事を言わなかったのか、聞かれましたわ。今更」
 俺も目を剥いて、笑った。
「俺も、全く同じ。つーか、何で知ってんだって話だよな。言ってもないのに」
 野梨子の笑顔が、一瞬止まる。
「あら、魅録も言ってませんでしたの、会った事」
「うん、何となく、な」
 俺はにっこりして見せた。
 野梨子も再び微笑んだ。
「ええ。私も、何となく、言いませんでしたわ」


 当時ははっきりと分からなかった理由が、四年を経た今となっては、分かる。
 言っても差し支え無いどころか、言うのが当然の様な事を、どうして言わなかったのか。
 こっそりと胸の内にしまっておきたかった。二人だけの、大切な思い出にしたかった。
 示し合わせた訳でもないのに、同じ事をした。それが、嬉しい。
 それが、同じ気持ちからなら良いのに、と思う事。
 それが、やっと分かった、内緒の理由。




あとがき

 中学時代、こんな事があったら良いなあ。
 理由は分からないままに、胸の内にしまっておく二人を希望。
 そんな二人を、清四郎が微笑ましく思ってると良いなあ。




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