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子猫 番外編

 いつの間にか清四郎が確保していた部室は、高校時代のそれと同じかそれ以上の居心地をメンバーに与え、彼らは特段用事がなければそこで過ごすのが日常となっていた。
(それは高校時代も同じ事で、大学生になったからとて、何もかもが急激に変わる訳ではないのだ。)


 その日美童は、部室の扉に手を掛け、鍵が掛かっている事に気付いた。
 自分が一番乗りとは、珍しい。
 女の子たちとの交流が忙しくてなかなか部室に辿り着けず、鍵を開ける役目が回ってくる事は稀だから、部室の鍵は鞄の奥に仕舞いっぱなしだ。

 ごそごそと鞄を漁っていると、誰も居ないのだと思った室内で、慌てる様な気配がした。
 不審に思いつつも、見つけた鍵を鍵穴に差し入れロックを外す。扉を開けようとした手に力を入れる寸前、扉は開いた。5cmだけ。その隙間を埋めて、魅録が立ち塞がっていた。

「悪い、美童。今日の所はこのまま帰ってくれないか」
 着崩れて息が上がっている魅録が言う。
 室内から漂って来る、この独特の空気は。
「お楽しみ?」
 へえ。魅録が、ねえ。お相手は? …訊くまでもない。良かったね、魅録。

 自分では隠していたつもりだろうけど、美童は分かっていた。魅録がそういう事をするとしたら、それは、彼女以外に無い。

 おめでとう、と言う代わりに、たまたま持っていた南京錠と、当然持っているコンドームを差し入れてやる。
 目を白黒させた魅録に苦笑して、辞した。
 扉を閉じた途端掛けられた鍵にも苦笑が漏れた。
 あいつ、どれだけ余裕無いんだよ。あんまりがっつくと、嫌われちゃうよ?
 だから、機転の利く自分に、感謝して欲しい。
 扉に貼付けた『魅録より伝言:取込中につき入室禁止』のメモ。
 また誰かに邪魔されちゃ、可哀相だからね。
 決して、意地悪とか、やっかみとかでは無い。
(そんなものは、ほんの数%だ。あったとしても、ね。)

 貼付けたメモを眺めて満足していると、可憐が来た。
「何やってるの?」と問う可憐に、黙ってメモを見ろと指し示す。
 目にした途端、にやりと笑った可憐は、メモの余白に『OK karen』とサインした。
 連れ立って部室を離れる。
「ここまで、長かったわね」
 ああ、可憐も分かってたんだ。
 美童は、心底安堵した様な、慈悲深い可憐の笑顔に、安堵した。


 学食で、調理のおばちゃんの新メニュー試食会に無理矢理参加させてもらっていた悠理がお腹を満足させて部室に辿り着くと、扉の前で清四郎が難しい顔をして立ち竦んでいた。
 悠理は声を掛けるのが躊躇われて、でも放ってもおけなくて、ゆっくりと清四郎に近付いた。
 清四郎の視線の先にあるメモに目を走らせ、悠理は全てを理解した。
 魅録が取込み中なら、その相手は、清四郎の大切な幼馴染に違いない。清四郎も、それが分かっているに違いない。
 大切な。二十年寄り添った。彼女が。その手を離す。まさに、今。

 清四郎が彼女を大切にしているのを、悠理は十五年、近くで見てきた。
 だから。
 清四郎に今訪れているものが“失恋”なんてものではない事は、分かっている。
 だけど。いや、だからこそ。
 清四郎の胸の内を考えると、いたたまれなかった。
 だから。

 悠理は清四郎の胸ポケットからペンを一本抜き取ると、メモの余白に『ゆーり』とサインした。
「ん」
 と、清四郎にペンを差し出す。
 清四郎は、悠理の顔とペンを見比べてから、同じ胸ポケットからインキ浸透印を取り出し、ポンと『菊正宗』を押印した。印の蓋をして胸ポケットに仕舞うと、ふ、と息を吐きながら悠理に向かって笑いかけた。
「帰りましょうか」

 いつになく幼く見えた清四郎に、どう接していいか分からず悠理は、同じ様に笑いかけて腕を絡ませた。
 差し出したものの受け取られなかったペンは、自分のポケットに突っ込んだ。
 返すのは、今じゃなくても良い。明日だって、明後日だって構わない。

 今日はちょっと、清四郎に優しくしてやっても良いかも知れない。
 清四郎にとって大切な幼馴染は、悠理にとっても、大切な幼馴染だ。
 胸がちょっと痛む気がするのは、きっと、変化への懼れだ。

 でもさ、清四郎。
 悠理は心の内で呼びかける。
 変化は、決して、悪い事じゃない。
 なにせ魅録は、あたいたちの大親友じゃないか。
 きっとこれは、最善の変化だ。
 そうだろ、清四郎?


 何もかもが急激に変わる訳ではないけれど、何もかもが全く変わらない訳でもないのだ。




あとがき

 『子猫』は甘々で完結としたけれど、番外編を。
 皆さん魅録を信頼し過ぎじゃありませんかね?
 魅録の気持ちがバレバレなら、野梨子が受け入れるだろうって事もバレバレだったんだね。生あたたかく見守ってたんだろうなぁ。
2012.02.17-19





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