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ある日の放課後。 「お願いっ」 可憐が、お手製のアップルパイと紙テープ六本を差し出して言った。 「お店のディスプレイに使いたいの。いろんな字体で書かれたアルファベットを敷き詰めたいのよ。印字した物はもう用意したんだけど、手書きの物も入れたくって」 紙テープとペンをそれぞれに配布して、可憐が指示を出す。 「AからZまで、順番に書いて繋げてね。今期のテーマは “A to Z” だから。大文字でも小文字でも、筆記体でもブロック体でも、何でも良いわ。個性的に、お願いね」 報酬の先払い、アップルパイをサーブしながら、可憐は悠理にだけ、念を押す。 「出来るだけ丁寧に、お願いね?」 その代わり皿の上のアップルパイは倍量だ。 「わかってらいっ」 一瞬むっとした悠理も、皿を見ればご満悦。 絶品アップルパイを咀嚼する音、馥郁たる香りの紅茶を啜る音。 紙テープのかさこそと擦れる音、その上を滑るペンの音。 やっている事は、英語を習いたての中学生の書き取り練習と同じ。いや、ローマ字を習いたての小学生か。 それでも、ジュエリーアキを引き継ぐ事を真剣に考え始めた可憐が、初めて提案して実現させるディスプレイの出来がかかっているかと思うと、皆、自然と真剣になる。 流麗な筆記体でサラサラと綴っているのは、美童。 悠理は「えー、びー、しー」と小さく歌いながら、ブロック体で。 堂々とした筆記体で丁寧に書いているのは、清四郎。 可憐は皆に目を配りながら、自分も手を動かしている。 野梨子も几帳面に綴っている。 ちらりと覗いた野梨子の手元。 丁度、中盤を書いている。 『l』と『m』、『n』と『o』の間の空白に比べて、『m』と『n』の間が、ほんの少しだけ、狭い気がして。 他の文字と比べて、殊更『m』と『n』を丁寧に書いている様な気がして。 俺はすっかり嬉しくなる。 ただの偶然に違いないのに。たったそれだけの事で。 『m』は miroku の『m』 『n』は noriko の『n』 『m』と『n』は、形が似ている。山が二つか一つかだけの違いだ。 たったそれだけの事で、この二つの文字形を決めた誰かに感謝を、マ行を『m』で、ナ行を『n』で表すと決めた誰かに感謝を、俺の名前を魅録に、野梨子の名前を野梨子に決めた(おそらく)それぞれの両親に感謝を、捧げたくなってしまう。 …いかれてる。 そうだ、俺は野梨子に、いかれてるんだ。 アップルパイと紅茶がなくなり、可憐所望のアルファベット入り紙テープが六本出来上がった。 幾つものアルファベットの羅列の中で、いつでも真ん中辺りに、俺と野梨子(のイニシャル)は、似た様な形で、寄り添っている。 今は未だ、イニシャルだけだけれど。 イニシャルだけが、幾つかの偶然の元に並んでいるだけだけれど。 いつか。 いつか、実際にそうで在れるよう、俺は頑張ろうと思う。 |
あとがき サイト開始に当たり、「サイト名はどうしようか」と悩み、名案は浮かばず(薄々と感じてはいたけれど、私にはネーミングセンスという物が無い)、そういえば!と思ったのがイニシャルでした。 手書きで妄想を書き付ける時は、各人の名前をイニシャルで書くのです(ちゃんと書いてると長いし、その間に妄想がどこかへ飛んで行ってしまうのでね)。 で、アルファベットを順に書くと『m』と『n』が隣り合っている事が嬉しかったり、形が似てる事が嬉しかったりするのです。 ささやかな喜び。(ささやか過ぎる…) さて、サイトの中身はどうしよう、書き散らした妄想は多々あれど、人目に晒せる程にはまとまってない、一発目くらいは新しく書くか、という訳で、サイト名にまつわる話にしようと思い立ちました。 彼らにアルファベットを綴ってもらう事にしたのですが、そんな状況、無いよ! 取り敢えず野梨子一人称で始めたらちっとも進まない、可憐さんにご登場願い三人称で進めてみたものの、どうにも話が動かない、結局魅録に語ってもらったら、いかれた魅録が決意する話になりました。 ええ、魅録にはこれから頑張ってもらいます。 |
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