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ヘッドフォン

 生徒会室に入ると、ヘッドフォンをした魅録が扉に背を向け、椅子の背凭れに左半身を預けて座り、音楽に合わせて体でリズムを刻んでいた。
 ヘッドフォンからは、音が漏れてくる。相当大きな音量で聴いているのだろう、入室した私に気付く気配もない。
 何かに夢中になっている魅録は、なかなか魅力的だ。
 音を立てないように給湯室に入り、お茶を淹れた。

 テーブルに突いた右肘から少し離れた所に、テーブルの向かい側からお茶を置く。
 すると魅録は、はっとした顔で私を見た。
 驚かせてしまった。
 驚かせた事に驚いてしまった私も、はっとした顔をしてしまった。
 魅録はヘッドフォンを外すと「気付かなかった。サンキュー」と言い、笑顔を向けてくれた。

「野梨子の淹れてくれるお茶は、いつも美味いな」
 魅録はお茶を一口飲むと、そう言って笑顔をくれた。
 既に魅録はヘッドフォンを脇にやり、体をテーブルに向けている。
 私はその正面の席に座り、褒められて面映くて、何と返したら良いか必死に考えて、何も答えは出なくて、曖昧に微笑むだけだった。
 つまらない女。
 不意にそんな風に思ってしまって、そう思った事に狼狽えた。
 気を取り直そう。

「何を聴いてましたの?」
「野梨子には、喧しいだけかも知れないけど」
 そう言って魅録は、ヘッドフォンを私に差し出した。
 着けて良いのかしら?
 おずおずと装着する。意外と重い。魅録が機械を操作すると同時に聞こえて来た大音量は、確かに喧しい。男声が英語で愛を叫んでいる。

 魅録の耳にも、漏れる音が聞こえるのだろう、魅録の口が、歌詞に合わせて動いた。
『 I love you , I want you , I need you , Please , Please , Love me … 』
 魅録は、私の眼を見ている。
 初めは、単純に、音楽に合わせて口ずさんでいるだけだと思った。けれど、魅録の私を見る眼は、切な気で、真剣で、何かを求めるように、熱が浮かんでいた。
 そんな魅録の眼を、見た事は無かった。魅録が、そんな眼をする事が有るのだと、知らなかった。
 魅録の顔から、眼が離せなかった。

 不意に音が止み、ヘッドフォンからは静寂が聞こえた。魅録がテーブルに乗り出し、ヘッドフォンに両手をかけて耳から外した。
 魅録も私から眼を離さない。
「そういう事だ」
 先程の音楽の残響が、まだ聴覚を支配しているのに、魅録のその言葉ははっきりと届いた。

***

 野梨子を想いながら、まるで俺の野梨子への想いを歌っている様な曲に身を委ねていたら、突然視界に野梨子が飛び込んで来て、驚いた。
 驚いた俺に驚いた野梨子が、可愛くて参る。
 野梨子が淹れてくれたお茶は、相変わらず美味くて、つい、爺むさい事を思ってしまった。

 いつまでも、野梨子が淹れてくれたお茶を、二人で飲んでいたい。

 野梨子が俺の聴いていた音楽に興味を持ってくれたのが嬉しくて、ヘッドフォンを渡した。祈る様な気持ちで、スタートボタンを押す。

『 I love you , I want you , I need you , Please , Please , Love me … 』
 漏れ聞こえる曲に合わせて口ずさむ。それで、それが紛うこと無き、俺の、野梨子への気持ちだと自覚して、野梨子の眼を見た。
 伝わってしまうだろうか。いっそ、伝わってしまえ。
 野梨子が、俺の眼を見ている。
 眼を離せないまま、ストップボタンを押して身を乗り出し、ヘッドフォンを外そうと手を伸ばした。

 少しだけ乱れた黒髪が、元の場所に収まるのを見た。
 野梨子は、まだ俺を見ている。
「そういう事だ」
 告げた。届いたろうか。

 野梨子は、一旦俯いて、顔を上げた。それは、首肯と受け取っていいか?

***

 魅録が、何を言いたいのか、理解した。だから「理解した」と首肯いた。
 魅録は、伝えてくれた。では、私は?
 今日、入室して最初の感想を、述べてみようか。喜んでくれるだろうか。
「さっき、ここに来た時、何かに夢中になっている魅録は、なかなか魅力的だ、と思いましたわ」

***

 それは、野梨子を想っていた時の事。だったら。
「俺が野梨子を想ってる限り、野梨子は俺に、魅力を感じてくれるんだな」
 きょとんとした野梨子も、可愛くて参る。
 手を握って、伝えてみようか。俺の、爺むさい願いを。

「いつまでも、野梨子が淹れてくれたお茶を、二人で飲んでいたい」
 花の様な笑顔で、野梨子は首肯いてくれたから、俺はとても幸せだ。




あとがき

 魅録は洋楽だろう。そして二人とも英語は“困らない程度に”出来る。

 という訳で、勝手に歌をでっち上げましたが、私が英語不案内な為こんな残念な作詞になってしまいました。余りにも単純な歌詞なので、こんな歌詞をもつ歌も実在するかもしれませんが(するだろうなあ)、無関係です。

 あからさま過ぎるだろうに。もっと婉曲な文言を捻り出したかった…。

 I would like to drink forever with you , the tea which you brewed .
 魅録の“爺むさい”願いを英訳すると、こんな感じなんでしょうか。(協力:エキサイト翻訳 http://www.excite.co.jp/world/)
 更に歌詞っぽく仕上げるなど、お手上げでござる。もういいよ、ストレートに行こうぜ。という心境でこんな歌詞になった次第です。




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